Jack Stevenson先生のリトミックレッスン

ジャック先生のレッスンは、笑顔とエネルギーに満ち溢れています。

先生が「この教育法の実践的な知識をとおして、私は音楽家・教育者としての自分の本能を信じ、自己否定することなくそれらを自由に遂行できるようになった」と述べておられるように、生徒への受容と称賛と激励の言葉がけの数々は、生徒が安心して自己解放できる土台となり、音楽への愛情を深める精神性と同時に、リトミックが「人間教育」であり、先生が「ダルクローズの教育哲学」の紛れもない実践者であり、その姿を通して「リトミック」の素晴らしさを示しておられると感じます。

リズムの起源は、ギリシア語(の詩)に由来することについて、実例を挙げ説明してくださり、先生のしなやかで躍動感ある動きとともに記憶され、先生の素敵な即興演奏にあわせて動くことで、それぞれのリズムに内在する抑揚やアクセントを深く理解できました。

また、西洋音楽の基礎となる拍子の感じ方についても、拍子の変化による各ビートの役割について、これまで学んできた視点とは違う「press感の変化」という説明に、神髄に触れたという心地がしました。クルーシスは重力に反する力であるという説明もあわせ、それを知ることにより、音楽の流れをより立体的に分析し、理解し、活き活きとした演奏に結び付けていけます。

このような、西洋音楽の本質にかかわる部分は、楽器のレッスンだけではなかなか学ぶことは出来ないと思います。よく「血の違い」などと簡単に言われていますが、リトミックは、そういう難しさを克服していけるのです。

日本における音楽教育は、世界的な視野に立ってみてみると、本当に「音楽」を伝えられているだろうか・・・と思うことがあります。
緻密な理論と、ダイナミックな表現。ジャック先生の音楽理解の深さは、どのように獲得されていくのだろう・・・?

私自身がもう少し成長したら、より先生のレッスンの素晴らしさをわかるようになれるかもしれないと、そのようにも感じます。

脳を鍛えるリトミック!?

少し前のことになるが、「空耳の科学」の著者 柏野牧夫氏と「絶対音感」の著者 最相葉月氏によるトークセッションを聞きに行った。
話は主に聴感覚がいかにイリュージョンに溢れているかという内容。視覚によるイリュージョンさながらの聴覚マジックに釘付け。ただし、音楽をやっている私たちが日頃よく言う「音を聴く」という類のものではない。正に人間の耳についての基礎研究分野の話。でも、最相葉月さんという才女が、その研究発表を実にうまく料理をして、さまざまな目的を持って聴きに来ている異分野の聴衆を満足させるものとしての話題提供に変換。
いみじくも小澤征爾さんと村上春樹さんの対談本にあった「ああ、ぼくたち音楽をやる者は、そういう聴き方をしていないんだな」というくだりを思い出しながら聞いていたら、最相さんも同じことを言っていた。

音を聴くという事は、脳の予測機能の働きが大変に作用しているということがよく分かった。「耳が良い」という事は、たくさんのことが聴こえる、細かい違いが判ることよりも、聴こえたことをどのように処理し瞬時に多くのアウトプット信号に置き換えることが出来るかという能力の事だという事も納得できた。
中でも、ミラーニューロンというものの存在の話は、ダルクローズ・リトミックをやっている私たちにとって「耳より」な話。人間の場合は、ミラーシステムと呼ばれているらしいが、その脳の連携システムにより、他人が動いている様子を見て、それが自分もやったことのある動きであると、見ると同時にあたかも自分で動いているように脳内でシュミレーションをしているということが研究結果として証明されているらしい。脳は、モノを見ているときは視覚野だけが活動するとか、音を聞いているときには聴覚野だけが活動するという単純な構造ではなく、広範なところでそれぞれが連絡を取りながら、役割を演じているらしい。「聞いた音と運動をリンクさせていくリトミックは、脳のトレーニングになる」とはリトミックをやっている私たちにとってはあたりまえに言われていることだが、このミラーシステムの話から、より根拠を帯び確信になる。「社会性」とは、脳の機能のどこかに社会性を担う中枢があるわけではなく、視覚野・聴覚野・運動野の自然なやり取りの産物といえ、臨機応変にその場に合わせて脳内をネットワーク化して協調して働かせること言えるようだ。

脳科学者の茂木健一郎さんの話にもこの「ミラーニューロン」の働きについての説明があった。

近年注目されている集団的知性(=人と人とが協力したときに出る力のこと)に大きく影響するのが他人の心がわかる社会的感受性で、これは鏡のように働く神経細胞・ミラーニューロンの働きによって生み出されるものとのこと。

またこれを発揮するのは、同じ分野を得意とする人ばかりが集まっても意味がなく、むしろそれぞれに得意な分野が異なる個性豊かな人が集まって、互いの心を感じながら協力することが最善の方法だとも述べておられる。

脳を鍛え、社会性を伸ばし、多くの人と協力しながら集団的知性を発揮していけるように、

年齢にかかわらずもっと多くの分野の方にも「リトミック」を知っていただけたらと思っている。

Silvia Del Bianco先生のリトミックレッスン

2012年早春「 リズムの森特別講習会」にてジュネーブ・ジャック=ダルクローズ音楽院 学院長:シルビア先生がレッスンをされた。
シルビア先生のレッスンは、2008年夏の名古屋音楽学校・ダルクローズセミナーでのレッスン以来2回目の受講。

このブログを読んでくださる方に、リトミックは子どものための音楽教育の導入に使われる手法であるだけではないと知っていただくきっかけになれば・・・ということで、レッスンの様子を書かせいただこうと思う。
先生のレッスンは、美しく穏やかな喋りと声、凛とした且つにこやかな表情、柔らかなピアノの音。すっきり整然としたレッスン運び。
始めこそ緊張感があったけれど、そのうちに優雅さに取り込まれるような心地よさ。まずは、会場の中を縫うように動き、共にレッスンを受ける人たちとの空間の共有を意識し、自分の身体を解放させ、次第にミュージカルホップ(音の合図)に耳を傾け音楽へと集中していく。メインテーマは 「バイナリービートの不等分割」 。(2拍子基礎リズム)4拍分のスペースの意識・動きの流れの方向・重心移動といった基本も丁寧にさらい、リズムのバリエーションごとのエネルギーの流れの質の違いを、動きの経験から言葉に置き換え、より明確にしていく。

そして、指導者の方々も多く受講されているので、レッスンプランの構築方法やレッスン段階によるピアノ即興の入れ方の違いなども説明してくださった。

また、リズム課題クリヤ後の発展(即興唱や時間の倍速変化)や、和音の聴き分けのエクササイズ例の紹介も。
例曲は、Oswald Russell : Jamaican dances, No. 2
全体を3グループに分け、メロディー・オスティナートリズム・和音の3パートにそれぞれ動きをつけ、曲を表現する。私はメロディーパートのグループ。この活動では、2種類のメロディーの違いと関連性、ABそれぞれのメロディーライン中のエネルギーの流れ(緊張・弛緩)、ダイナミクスの違い等を各自が瞬時に分析し、短時間に身体での表現方法を話し合い、自分の担当を決め、他の人の動きを感じながらそれに応じていくという、正に音楽性と人間性をフルに働かせることが求められる。オスティナートのグループは、グループ全員でうねりを表現し、ダイナミクスに応じた動きの違いを色とりどりのスカーフを使い表現効果を上げておられた。和音を担当するグループは、全体の中での専有面積を平面だけではなく立体的にもとらえ、和声機能の分析も動きの形態やスピードの違いで表現されていた。先生の演奏にあわせて全員で動き、そのダイナミックな世界に感動!参加されていた皆さんからもとても良い刺激をいただけた。

もう一時間は、「カノン」のレッスン。
レッスンプランは多様性に富み、また姿勢も動きも美しくレガートであることが要求され、全身の神経がピンと張りつめてくる感覚がわかる。空間をどう使うかにも常に注意を払うようにとの指摘に、視感覚センスを磨く大切さも実感する。

ここでも、「カノン」レッスンにおける多くの素材や段階、どのようにするとより高度なレッスンになるかまでを理路整然と紹介し解説してくださる。

例曲は、Polskie Wydawnictwo Muzyczneというポーランドの作曲家の 「Kanon・ A Round・ Kanon」という小品。
ヘ短調で書かれているが、ソルフェージュの課題にもなりそうな難しい音程の並んだ曲。ゆっくりのテンポの曲だがリズムも複雑で、フレーズの分析も譜面上からでは難解。これを数回聴き、メロディーを覚え、二人組になって動きを付けて「カノン」を表現する。一小節遅れの2声のカノンが、形となって見えたとき、音程やリズムの複雑さも溶解し、Lento cantabile のこの曲の美しさを味わうことが出来る。減5度が気持ち良く歌え、長・短2度音程も自然に正確にとらえられるようになる。リトミックにより、聴覚の繊細さとリズムの感覚、神経の微細な伝達が刺激され、音楽を深く理解できるようになることを実感する。

「ダルクローズ・リトミック」についての講演もあった。
パワーポイントを使ってとても良くまとめられた内容でわかりやすかった。特に、ジュネーヴの音楽院の社会的役割について、ご当地のリトミック状況も交えてのお話は非常に興味深かった。

また、「音楽性を伸ばすという事は、音楽家になるという事ではない」という言葉は、リトミックという音楽のための音楽による教育の奥深さを顕わしていると思った。

今回の講習会に向けるシルビア先生のメッセージが「リトミックをとおして、人としての感動に満ちることを祈ります」と結ばれていたが、私なりに深めることが出来たようである。

音楽の行方

【アルテス】vol.1に掲載されている、シンポジウム[3.11と芸術の運命]を1982年に発刊されていた河合隼雄氏著「中空構造日本の深層」―『神話知の復権』に書かれていた「高度に発達した技術と、予測し難い災害に対する不安」が現実化した「今」という認識の上に読む進めると、とても面白い。

河合氏はスリーマイル島原子力発電所の事故を受けて、科学知の行き詰まり感から来る「不安」を話の発端にされているが、今私たち日本人は3.11の自然災害と原発事故が現実のものとなり、あらゆる分野で否が応でも新しいスタイルへの変化を迫られ、そのベースになる新たな「知」が求められている。

「現代の不安は、科学の知があまりにも肥大独善化し、それが少しの破綻をきたした時でもそれを修復安定せしめるような、人間存在全体にわたる知による復元力を失っている所以」で、そして科学の知の肥大化によってもたらされた自然破壊の恐ろしさが現実化した今、人々は科学を中心に置くことの非を悟りつつある。

そこで登場する神話の知。神話の知の基礎にあるのは、私たちをとりまく物事とそれから構成されている世界とを宇宙論的に濃密な意味を持ったものとしてとらえたい根源的な欲求。神話の人間学的発言を特殊な自己知に還元し、トータルな人間存在としての有様を確立していく。

科学の知、いわゆる人間の「管理」する社会は、中世の暗黒時代と言われる時期に生きた人々と、現代人とがはたしてどちらが多くの自由さを持っているかで明らかな様に、人間の魂の自由さを許さない。実際、17世紀において近代科学の基礎を築いた「科学者」たちは、我々が想像するよりはるかに暗黒な世界との濃密な関係を維持していたという。(私はTVドラマ「Super Natural」のファンだが、まさにこれに描かれる世界は、科学知の発達により忘れられようとしているトータルな人間性の回復に通じるものがあると思う。)17世紀の登場人物たちの主張や考え方の中から、ある一つの様相だけをとり出し、それ以外のものを全て捨て去った結果を持って、近代自然科学と呼んでいる…ともいえるらしい。これは音楽理論においても、グレゴリオ聖歌に代表されるように中世の理論の複雑さ細やかさを知れば、納得できるものがある。

さて話が少々ずれたが、「今」を「芸術のあり方の転換期」とも捉えておられる各芸術分野に携わる方々の新たな表現にも「これから」を期待してアンテナを張っていきたいと思っている。音楽を時代のメタファーとして聴いていくときに、そこから「神話知」なるものが聴こえてくるだろうか・・・

子育てと、絵本と、音楽と

2歳児クラス・リトミックレッスンでの一コマ。

―右手と右手で握手して、二人でクルクル回ってみましょう!音楽が止まったら反対の手(左手)に替えて、今度は反対周りにクルクル回ってみましょう!―

ママと一緒にやっていた男の子は、楽しいやら嬉しいやらでぶら下がり状態で自分の足で歩くのを忘れています。 そこで、「○○くん、ママだから引っ張ってもらえるけど、お友達と一緒だったらお友達が転んじゃうよ!ちゃんと音楽に合わせて歩こうね。」と声をかけると、ハッとした表情で、次にはとても上手く音楽に合わせて歩幅や速さをコントロールすることが出来ました。

実は、一年前の彼は、「○○しましょう!」ということに人一倍興味を示さず、マイペースにやりたいことだけ参加、もしくはエスケープ、と“みんなと一緒”が苦手なお子さんでした。

そこで、お母さまに、「今は、彼の『こうしたい!』という気持ちを大切にして、寄り添ってあげてね。」と声をかけ、童話館ぶっくくらぶのパンフレットをお渡しさせていただいていました。

言葉の意味する奥にあるもの、それを感じ取れるようになるには、小さな子どもにとってはやはりお母さんとの気持ちの通じ合いが何より必要な経験であり、絵本の読み聞かせによる子どもとお母さんの心の通い合いが、どれ程の成長の糧になるかは言うに及びません。

ここ数か月のレッスンの中で、「ゴーヤもオクラもほかにもたくさんお野菜がお父さんの畑にあったよ。」などと、肌で感じたいろいろな体験から理解力が伸びたな~と、思っていましたが、このように「こうしたら、お友達がどうなる?」と一瞬に他者の気持ちや状況を想像することができるようになったということに、絵本に興味を持ちバーチャルな実体験も豊かに持てたことで育つ「心」の成長を感じました。

彼は電車が大好きで、新幹線は何々系まで、特急列車も形や色の違いでほとんど覚えてしまっているほど。 そこで、レッスンで電車ネタでいろんな活動をしようと「はしれ、かもつたちのぎょうれつ」という本を読んであげようと思っていましたが、既にその本をお家で何度も読んでもらっていたそうで、すっかり丸暗記しておられました。

「じゃあ、○○くん、先生に読んで聞かせて」とお願いすると、彼は本当に上手に読み上げてくれて(勿論文字はまだ全く読めませんが)、絵本を通し彼の世界が大きく広がり深まったことを嬉しく思います。

子どもの集中力は、親の膝の上で育つと、私は思っています

良質な絵本にふれる機会を持つことは、心の財産になります

私自身の子育てにおいても、絵本をたくさん読み聞かせるとこができたことは、子どもたちのみならず、私自身にとっても子どもの視線で感じ考え、子どもの気持ちを理解していくことに繋がり、本との出会いに感謝しています

また、本を読み、思考の基となる言葉にしっかりと触れておくことは、何を学んでいくうえでも大切。

そんなこともあって、ピアノのレッスンでもリトミックのレッスンでも、「本を読んでね!」と、度々お話ししています。

レッスンの中で本を使う時には、音楽のように慣れ親しむことが出来るように、言葉のリズム感の良いもの、素敵なオノマトペが載っているもの、情景から音楽が感じ取れるもの、本のストーリーの流れ自体が音楽的なもの、その時々のレッスンの目的に応じた絵本を選びます。

音楽を理解していくにも言葉はとても重要。

音楽は言葉を超え直接人の心の奥底に訴えかけてくるものではあるけれど、それを語り合い、共感し合い、伝えていくためには言葉が必要。

音楽家にとっても、音のイメージは言葉で語られ、音楽を表現する語彙力は必須。反対に言葉がなければ、イマジネーションも枯れてしまうのではないでしょうか?

最後に、1998年にIBBY(国際児童図書評議会)が主催した子供の本を通しての平和を考える世界大会で、美智子さまがビデオテープによりおこなった基調講演の中のお言葉を紹介させていただこうと思います。

子供達が,自分の中に,しっかりとした根を持つために
子供達が,喜びと想像の強い翼を持つために
子供達が,痛みを伴う愛を知るために

そして,子供達が人生の複雑さに耐え,それぞれに与えられた人生を受け入れて生き, やがて一人一人,私共全てのふるさとであるこの地球で,平和の道具となっていくために。

(宮内庁HPより:第26回IBBYニューデリー大会(1998年)における皇后陛下の基調講演

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この度、『童話館ぶっくくらぶ』さまと当HPを相互リンクさせていただけることになりました。

よろしくお願い致します。

クリスマス・キャロル

12月に入り、リトミックレッスンではいろいろなクリスマスソングに触れています。

「あわてんぼうのサンタクロース」「ジングルベル」「赤鼻のトナカイ」etc.…ワクワクするような楽しい曲の数々。楽器を合わせて簡単な合奏を楽しんだり、ビート感の違いを感じてみたり、曲のテンポや曲想を変えて色々な活動に使ったみたり。

でも、せっかくだから、古くから歌い継がれている「クリスマス・キャロル」の数々を各年齢に合わせてゆっくりと味わってもらえるように、紹介しています。

「キャロル」(英語: Carol)とは、もとは中世のころヨーロッパで踊りのためにうたわれていた民謡ですが、そこから派生して一般民衆が収穫の季節・クリスマスやイースターなどのキリスト教の行事に関連して歌ったものも含み、長い間ずっと歌い継がれてきた歌です。

そしてクリスマス・イヴの夜に人々が歌う「キャロル(歌)」をクリスマス・キャロル(英語: Christmas Carol、)といい、「天には栄え」「天(あめ)のみつかいの」「聖しこの夜」「ひいらぎ飾ろう」「牧人羊を」「もみの木」「もろびとこぞりて」等々、多くの素敵な歌があります。

例えば「牧人羊を」((The First Nowell – ファースト・ノエル)はたいへん古くからあるもので、16世紀・17世紀頃にうたわれていましたが、起源的には13世紀にも遡るとされます。ドからドの1オクターヴの8つの音が、ほぼ順に並んだだけのシンプルなメロディーですが、何とも心地よく開放感があり、「喜び讃えよ」と天使たちが夜空で歌う荘厳さも併せ持っています。ゆったりとした3拍子で、フレーズの始まりの3拍目の2つの八分音符の持つ躍動感は、リズムステップをしてみるとそのリズムの持つエネルギーをとてもよく感じることができます。

1843年に発表されたチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』の作品プロローグ部に、少年がスクルージに歌いかけるキャロルとして登場している、「世の人忘るな」(God Rest Ye Merry, Gentlemen – 神が汝の威を保ちたまわんことを、尊き方々)などにも代表されるように、古くから歌い継がれてきたものは、中世当時の旋律法で作られていますので、幼いころに歌い自然に親しんでおくことは、西洋の音楽のルーツにふれておく良い機会ともなります。

拍子、音階、音程、リズム、フレーズ、構成・・・どの曲を分析してみても、自然な音の流れの中にある美しさの秘訣に触れることができます。特に、これらの曲を歌ったり聴いたりするのは冬のこの数週間だけという季節限定であることがまた、『スペシャル』さを増しているかもしれません・・・!?

話は少し変わりますが、

ジャカルタで暮らしたことのある我が家は、暑いクリスマスを5・6回経験しました。イスラムの国でしたし、日本ほど街全体がクリスマス色に変化することはありませんでした。ホテルやショッピングモールといった特別な場所では雰囲気は感じられましたが・・・

上の娘が通ったモンテッソーリの幼稚園でもクリスマスには、ホテルのコンベンションホールで音楽会が行われました。インターナショナルの幼稚園でしたので言語は英語。2~6歳児が縦割りで一つのクラスを作っていました。

娘たちが歌ったクリスマスソングは、「Frosty The Snowman」(白いスノーマン)。よく耳にはしますが、日本語訳のない曲です。歌った本人はもう全く覚えていないようですが、長い歌詞の割には軽快なメロディーに合わせて、何とか最後まで歌っていました。

私も、自分では歌ったことのない曲で、楽しく一緒に覚えました^^v。となりのトトロの「さんぽ」に似た、元気に歩くのにぴったりの良い曲!

音楽会の最後には、大人もみんなで一緒に「クリスマスキャロル」を歌いました。

異文化の中で異文化に触れるという、ちょっと複雑な経験でしたが、「クリスマスキャロル」は、子どもたちにとっても万国共通!と再確認しました。

日本語になっていない「クリスマスソング」・・・私たちのあまり知らない「クリスマスキャロル」・・・探してみるのも楽しいかもしれませんね!

リトミック事情

「ダルクローズ・リトミック」・・・
このワードの「中身」を知っている人は、今の日本にどのくらいいるだろう・・・?
多分、数千人くらいのものではないかと思う。

「リトミック」は、巷に溢れているのに何故?
多くの人(リトミックを教えている人を含め)が「ダルクローズは難しいから・・・」と言うだろう。
そう、リトミックは習うことはとても楽しいけれど、きちんとした内容を教えることは易しいことではない。

「リズム」「ソルフェージュ」「即興」と3科揃って、「リトミック」である。
「ダルクローズ・リトミック」を教える先生は、これら3科を自分の生徒に合わせて、自分でテキストや教材を全て作る。
反対に言えば、自分でソルフェージュや即興のテキストを自分の生徒の為に作れるほどの勉強をして初めて、国際免許を持ったリトミックの先生になれるというわけなのだ。

では、「ダルクローズ・リトミック」の子どものための教室では、とても難しいことをやっているのだろうか?
そんなことは、全くない。
子どもたちの年齢に応じた運動能力や理解力に合わせた活動の中で、お母さんやお友達との触れ合いを楽しみながら、音楽に親しんでいる。
「楽しく、力をつけていっています」と、お母様方は口を揃えておっしゃる。

例えば、こんな感じ。
○ リトミックを始めた頃からすると最近は音に合わせた動きが少しずつ出来るようになってきました。そして何より本人が楽しんで参加していることが一番です!先生のお話も落ち着いて聞けるようになり、集中力がついてきたのを感じます。
○ リトミックを始めた頃は、曲にあわせて踊っていましたが、最近は歌も自分で上手に歌い表現しています。ママは毎日、癒されています。
○ リトミックを通して少しずつ自信もついてきたようで、普段の生活面でも以前に比べ積極的に行動したり・表現したり等、変化が出てきました。とても嬉しく思っています。本人もリトミック、とても楽しんでいます。
○ 当初は「動かしてもらっている」感が強い娘が、レッスンを受ける内に自発的に動けるようになり、動きに表現が付いてきたこと、とてもうれしく思っております。これからも楽しんで続けてほしいと思います。
○ 家での様子も音楽を『まさに楽しんで』います。お友だちや先生に会うことを毎週楽しみにしています。最近はレッスンが終わると習った事を自分なりに復習(?)している姿がとても面白いです。

そして、
「ダルクローズ・リトミック」の先生は、子どもから大人までを教えるだけのレッスン内容を学んでいるから、子供たちの成長に合わせて、自由自在に多くの引き出しからプランを提示し、今必要なことを上手にアレンジできる。
これだけしか、教えられません・・・という事はない。

また、レッスンは生徒さんに合わせて一緒に作り出していくものだから、常に試行錯誤。いつまでたっても、その一瞬が勉強なのだという心構えの必要性も十分わかっている。

そんな、先生たちのことをまだまだみんな知らない。
免許保持者が全国でもまだ数十人という数だから、仕方ないと言えば仕方ないかもしれないが。

ある お母様(ご自身も音大でピアノを学ばれた方)から、こんなお話を伺うことができた。

《リトミックは、リトミックと称して様々な方が様々なことをしているので、通うママさんたちもなんとなーく子どもが楽しそうならなんでもいいやといった感じなんでしょうね・・・
私も先生に辿りつくまでに、ある大手デパートで行われているリトミックの体験にも行きましたが、あまりの子供騙しに愕然としました。
ただ私も、偶然にもリトミックの勉強をしている友達にひと通りの知識を教えてもらって、リトミックの教室を廻っていたので、それが子供騙しとわかりましたが、何も知らなければ『此処でやっているならちゃんとしてるだろう』と、信じてしまっていたかもしれません。
リトミック探しで、親もある程度勉強してから教室探しをしないといけないんだなと、勉強させていただきました。 》
とのこと。

国際免許を持っている先生たちは、こんな素敵なレッスンをしているんですよ!!
と、もっと発信していく必要があるのではないかと思っている。
どのような形でどのように・・・?

私たちの今後の課題でもあるだろう。

ダルクローズリトミックの子どものための教室が、もっと一般的になるような社会になってほしいと願っている。

お近くに「ダルクローズ国際免許」を持った先生のお教室があったら、どうぞ一度門を叩いてご覧になってください。
決して敷居が高いなんてことは、ありませんよ!

コンクール終了!受賞おめでとう!

舞台の上は、別次元 。
コンクールは、日常では味わえない緊張の中で、たった一人で、誰の助けも借りることなく自分を再発見できる体験。
「本番」に至るまでの時間、そして「本番」、またその結果から本当にいろいろなことに気付くことができる。

コンクールに向ける心構えとして、
「芸術というものは、答えのあるものではなく、人それぞれに捕え方が違うものなので、他人の『評価』は気にしない。」という、藤原由紀乃先生のアドバイスを大前提として、参加したお二人とも、自分にとって「コンクール参加」がどういう意味があるのか、それぞれにしっかりと考え、臨んでくださった。

「銀賞」をいただいた、6年生。

中学受験に向け塾に通いながらも、「勉強だけに偏った生活にならないようにしたいし、ピアノを弾くことが気分転換にもなる」と、無理をしないように、でも弾く時間は集中して取り組まれた。 受験というものも自分を鍛えることになるけれど、彼はピアノのレッスンも続けることで、時間の使い方、日常生活のコントロール能力をより身に付け、そしてピアノも上達した。

2曲中1曲は完璧に自分のものにできたが、もう1曲はまだ完璧とは言えず、受賞は思いがけなかったけれど、本当に嬉しいね!
日々のコツコツとした努力が人としての基礎を固め、「本番」につながったという体験になり、自信になったのではないでしょうか。

「武骨」だが「誠実にひた向きに打ち込む」、その心の熱さが音楽に現れ、溢れてくるエネルギーに惹き込まれる。
自分の納得のできる演奏を目指して、益々成長されることを!

ディプロマ賞をいただいた、高校生。

ブラスバンド部でサックスを吹き、医学部をめざし塾通い。 でも、「舞台」に強くなりたい、自分に挑戦したいということでコンクールに。
音楽が好きだから、心が伝わってくるし、何でも理解が速い。和声や様式という楽典的内容以外の 時代背景や、作曲家の特徴もよく理解し、短時間に曲を深めることもできる。

でも、当日の演奏は、「手に違和感があり、思うような演奏ができなかった。」とのこと。
舞台に強くなるという課題に対して、自分なりの答えが出せなかったことが悔しく、練習不足が悔やまれるとの反省。日頃の練習と本番の違いに大いに納得され、「メンタル面を強くすることを目的として、もっと練習します!」と、おっとりとした中に秘められた芯の強さが頭をもたげてきたかな~と、内面の変化を感じさせられた。

きっと、音楽がまたその成長に応え、一層素敵な世界の発見が出来ていくでしょうね!

お二人ともそれぞれに、「舞台」という経験により、「ピアノをする」という意味合いが、またひとつ明確になり、大きくステップアップされたのではないでしょうか。
受賞、おめでとう!!

これからをまた、楽しみに!!

そして、今回私自身もお二人の舞台での演奏を聴かせてもらいながら、自意識を持って弾き始める年ごろの生徒さんへの指導として、「ストーリーテリング」(Storytelling)ということを学んでいただこうと、次への課題が持てた。(小さなお子さんは、そんなこと理屈なしにできるという利点がある。)

一言でくくられてしまう「ストーリーテリング」という言葉、「ストーリー」とは「物語」、「テリング」は「感情を外へあらわす行為」と、実は違う方向・次元のものらしい。
これは、演技の世界で使われる言葉だけれど、音楽でいえば「ストーリー」とは、曲の分析や理解で、「テリング」がそれらを演奏としてどう表現していくかの技能、ということになると思う。
演技において「テリング」がうまい役者は、例えば「これは~です。」というセリフだけで観客を泣かせてしまうことができる。
平たく言えば、「表現力」だけれど、「演奏」を考えていくことでありながら、ピアノを弾くだけのことでもない勉強として、面白く進めていきたいと思う。

「パパと一緒にリトミック」第2回終了

「音楽に合わせて動いてみたら、こんなに楽しかった!」という第1回目のご感想をいただき、『そうして親しみのもてた「音楽」に興味を持ち、お家に帰られてからも子育てに活かしていただきたい』・・・と、第2回目の内容を考えました。

音楽の内容を聴き取り、聴き取ったものを判断し、動きに結び付けていく「リトミック」は、聴き取り側の音楽経験により、その内容は全く違うものになります。

今回は、音楽家のためのリトミックではなく、お父さんが大好きな小さなお子様と育メンパパのための触れ合いの場としての「リトミック」。

そして、この講座の企画者の意図は、日本において本当の「リトミック」が普及していない状況に対し、「知ってもらいたい」ということ。でも本当の「リトミック」は、何年もかけてレッスンを受けて始めて「リトミックをやっている」と言えるほど、内容の幅も広く深いものです。そもそも「音楽」がそういうものですから、当然といえます。

という訳で、第1回目のように動いて楽しんでいただくだけではなく、

「リトミック」には音楽の要素を聴き取っていくという目的があること、

人間が言葉を持つ以前の太古の時代から存在していた「音楽」を認知する脳の部分が、(リトミックにより)音楽を分析して聴くようになることで広範囲に広がっていくこと、

様々な楽器に触れながら「音」を聞き分けていく「聴き方」があること、

遊びの中で道具を使うときにもリズムやニュアンスを感じることができること

等々、色々なことを紹介させていただきました。

「音楽」が人に与える影響は、多大なものです。

個人的・また社会的にも、知らず知らずに感知している音楽を専門的に難しく捕えなくても、自分の身近なことを通して積極的に体得していけるようになると、本当に楽しめるようになりますし意味合いがとても深まります。

この講座にご参加くださった皆様にとって、そのきっかけになれば嬉しく思います。

 

楽器の紹介は、一人一人全員に体験していただくだけの時間がなく「座ってお話を聞く」ことになってしまいましたが、お子さんもとても静かにお話を聞き、「私もやってみたい!」と興味津々。本当は、一つ一つの楽器ごとに、自分で音を出して、その音を楽しむ動きをつけたり(トライアングルでは少しやってみましたが)、楽器と楽器を組み合わせたらどんなリズムや音楽が表現できるか・・・etc.いろいろ考えていましたが、時間がなくて残念でした。

ピアノの音楽だけでなく、お家で聴ける音楽にも動きをつけて楽しめるようにと、CDの曲に合わせても動きましたが、そのコーナーも本当は、曲を聴く前にもっとピアノに合わせたいろいろな活動を体験していただくことが必要だったのですが、そのために皆さんの「体験した」という感覚が中途半端になってしまったかもしれません。

3~4回分くらいの内容を急ぎ足で詰め込んでしまいましたが、音楽の楽しみ方を「お持ち帰り」いただけましたでしょうか・・・^^v?

「パパと一緒にリトミック」

私も今回初めての経験でしたが、子どもたちが、よりダイナミックな動きが出来て本当に嬉しそうだったこと、恥ずかしがったり躊躇したりという姿がなく、「パパと一緒」というのは子どもたちにとって「ママと一緒」より自立した心になりやすいのかな・・・と、「見守る」パパの役割が子供の成長にとても大切なことを 改めて実感させられました。

2回に渡り受講してくださいましたお父さん、またパパとお子さんを送り出してくださいましたお母さん、本当にありがとうございました。

——————いただいたご感想より————–

・2週続けて参加させていただき、音楽の本当の楽しみ方をおしえていただきました。これからは、子どもと音を楽しんで遊びたいと思います。ありがとうございました。

・楽器と音楽の紹介・説明をいただき、講座が終わってからも音楽に親しめる工夫がされた講座でよかったです。

・第1回目に参加して、娘が2回目を大変楽しみにしていました。朝から張り切っている娘を見ると、私も元気になります。又、機会があれば参加したいと思います。

————- おすすめ図書 & 楽器屋さん ————–

「音楽を考える」 茂木健一郎/江村哲二著 ちくまプリマー新書

「音楽の聴き方」 岡田暁生著 中公新書

「心を動かす音の心理学 ― 行動を支配する音楽の力」 齋藤 寛著 ヤマハミュージックメディア


 

「民族楽器 コイズミ」http://www.koizumigakki.com/

 

無欲の欲 

「あたまで弾くピアノ」という本に出会った。
1986年第1刷、2007年第19刷発行されている。

冒頭から、メカニズム先行のピアノ教育を否定し、どんな動きであっても1音1音すべての音をうたって弾くために、指先を常に頭の従者として訓練することが必要だと、書かれている。

手と脳の関係についての記述があり、ただ指を動かすだけのことや、楽譜を見て鍵盤をたたくだけの指の使い方は、運動連合野というところで、運動の順番を組み立てるところであるらしい。

子供のピアノのおけいこの場合は、ほとんどの人がその部分のみを使って弾いてしまっているので、そのことに気が付かないと、ピアノを弾くということに対する、弾いたという満足感はあっても、音楽する醍醐味である心の喜びは得られず、成人しても、自分自身の表現をするのに、非常な苦労をしなくてはならないのです。とある。

(昔弾いた曲が、指で覚えていたものだから今は弾けないってこの事かも・・・)

ところが、ピアノストがピアノを弾く場合は、前頭連合野(前頭葉)という部分を使っていて、ここは精神脳ともいわれているように、人間として最も大切な意欲、創造、思考、選択などをつかさどる部分である。とのこと。

(「ピアニスト」…の定義が曖昧な気もするが…)

ヨーロッパにおいても、一時代前、初期のリストを含めて、単なるメカニックの練習に2時間以上も費やしていたらしい。

そんな中にあって、ショパンだけは唯一の例外で、ほとんど独学でピアノのテクニックを学んだこの天才は、ひたすらに音に精神を集中させることにより、歌うピアノという新境地を開いた。その気品に満ちた音、限りない微妙なニュアンス、気取りや誇張のない純粋な音そのものの詩情、魂のこもった演奏から滲み出る優しさ・・・(略)・・・ショパンは、メカニックに対する職人芸的な見方に反対して、技術の習得はもっと芸術的であることを主張し、空疎な練習を機械的に繰り返して愚鈍になることを特に戒めていたという。ショパンにとって、テクニックとはまず、音の響き具合であり、タッチの用い方であり、美しい音を上手にニュアンスをつけて弾くことができること、であった。

との紹介から、

ショパンが現代のピアノの出発点であり、タッチをすべてとした天才のショパンの奏法こそ、真に私たちが学ばなければならないものなのです。

と著者は、正しい奏法というものに対する、興味付とその正当性をここに起因させて、以下、ツィーグラアー奏法と、マイラー=ギーゼキングによる「現代ピアノ奏法」を自身の理想とする「あたまで弾くピアノ」の練習方法と絡めながら、この本で述べている。

ツィーグラー奏法!?

とあり、興味深く読み始めたのだが・・・

いかに初期教育が重要か、

ソルフェージュから入り、耳を育てることがピアノを弾くことより前に必要な事か、海外の様々な事例や

日本における教育のシステムの稚拙さなど、

また、弾き方、勉強の仕方など・・・良いことが、とてもしっかりと書かれているし、

書かれていることに間違いはない。

 

しかし、

ツィーグラー奏法の記述においては、導入部分の紹介にとどまっている。

ツィーグラー奏法とは、単に指や体をどう使うか、音を精神性をもってどのように聞くかということだけではない。

表現芸術の有り方そのものの域ととらえられるもので、実際にこの奏法のレッスンを受けてみると、「方法として身に着ける」類のものではないとわかる。

最近、こんなことがあった。

コンクール前ということもあり、弾き込んで由紀乃先生のレッスンを受けた生徒さん。

いつもは、ふんわりとのびやかな音が、由紀乃先生のレッスンで深みが増し、心地よい響きに聴いていてもほっこりと、また惚れ惚れとする。

ところが、その日はsf(スフォルツァンド)が何度弾き直しても固くなり、「力まないで!」と注意を受ける。

レッスン後、先生と奏法についていろいろお話させていただいているときに、

「そう、今日の「力み」には、野心を感じました。意欲というよりも欲、というか、ゴールが見えてしまっている、というような・・・」と、仰った。

ほんの少しの「結果」というものを意識する心が、このように表れてしまったということか・・・少しの曇りも許されない、澄み切った「心」が問われる、シビアさ。

『無欲の欲』  とでも、言えようか・・・

音楽により知る心の世界…なかなか味わえない醍醐味。

その日、お聞きしたのは、「ツィーグラー奏法において、音を聴くときに音楽をイメージするその理想の音をどのように自分の中で持てばよいか」ということ。

天才的に、音楽を瞬時にくみ取れる由紀乃先生のような方とは違い、凡人の我々にとって、音楽を知ることはどのようなことになるのでしょうか?と聞かせていただいた。

それにはやはり、ゆっくりと丁寧に、楽譜を音にして、その音を聴きつくすことであると。

「聴きつくす」・・・レッスンにおいて、由紀乃先生が横に座り、一緒に音を聴いてくださると、それだけでこちらの聴き方が変化する。まるで、ミクロ単位の金属加工の人間業とは思えない職人さんの指先のごとくに神経を集中させ、真剣勝負で妥協を許さず全身全霊で聴いていく。

心の中には、全くの不純物無し。

これでもまだまだ、スタート地点にいるだけなのだ。

ちなみに、「あたまで弾く」云々という話をさせていただくと、

「きっと具体的に脳波をとったら、ものすごくさまざまな部分を使っていることがわかるでしょうね。でも、そんなことは、『演奏』にとってはどうでもよいことです。」と。

荘厳な芸術の世界を凡人が泥水に漬けるようなことにしてしまってはいけないと、気持ちが引き締まる。

でも、温かく優しい、美しい音の世界なのだ。

「魂で奏でる」… その奥深さに到達はできないけれど、そこを向いていたいと思っている。