「聴く」が「感じる」に変わるとき

──身体は、耳より先に動きだす──

以前、小学1年生からレッスンに通い続けてくれている高校生に、「リトミックって、自分の言葉で言うとどんなものだと思う?」と聞いてみたことがあります。少し考えて、「リトミックとは、音楽に合わせて動き……音楽について学び、理解を深めていきます」と、もどかしそうにまとめてくれました。長く通ってくれているからこそ、身体はよくわかっている。けれど、それを言葉にしようとすると、うまく形にならない。

この場面がきっかけで、レッスンの後にその日感じたことを短く書いてもらう「振り返り」を始めました。幼児クラスから、小学生のAクラス、小学高学年から中学生のBクラス、中学生から高校生のCクラスまで、それぞれの発達段階に応じて、ダルクローズ免許委員会が定めるリトミック・ソルフェージュ・即興のカリキュラムに沿ってレッスンを組み立てていますが、どのクラスにも共通しているのは、身体で感じたことを、自分の言葉に変えていくという作業です。

これから五回にわたってたどっていくのは、ある半年間の振り返りの記録です。身体でつかんだ感覚が、言葉になり、理解になり、やがて自分自身の音楽になっていく。その過程を、実際の記録をたどりながら追ってみたいと思います。

ダルクローズ・リトミックのレッスンでは、耳で聴いてから理解する、という順序をあえて逆にしています。まず身体が動き、その動きを通して音楽と出会っていく。幼児クラスの子どもたちを見ていると、このことがよくわかります。

身体化認知(embodied cognition)という考え方があります。人は頭の中だけで世界を理解しているのではなく、身体を通して知覚し、感じ、考えている、という視点です。音楽についても、同じことが言えるのかもしれません。

身体は、耳より先に動きだす、ということ

ある回のレッスンでは、絵本『スイミー』に登場する生き物になりきって動く活動をしました。スイミーは少しゆっくりからだんだん速く、くらげは全音音階の響きに合わせてスカーフで浮遊感を出しながら静かに、イセエビは力強いステップで、うみへびは列になって動きを揃えて。

理屈で説明したわけではありません。音を聴いた瞬間、子どもたちの身体がそれぞれの生き物になっていくのです。理解が先にあって動きが後からついてくるのではなく、動きそのものが理解のかたちになっている。そう捉えると、この順番のほうがむしろ自然なことのように感じられます。

音が上がれば身体も上へ、下がれば下へ。これも、繰り返しレッスンの中で行ってきた活動のひとつです。ハンドサインや言葉で「上がる・下がる」を説明するより先に、身体がすでにその方向を知っている、という感覚があります。

幼児クラスのアシスタントを務めてくれている生徒たちの変化についても、感じていることがあります。以前は「この音楽はこんなイメージだから、こんな動きをしてみよう」と途中で言葉を添える場面がありましたが、最近はその必要がほとんどなくなりました。音楽をよく聴き、そのイメージや響きの違いを、自分たちで動きに変えられるようになっています。

言葉や理屈で理解する前に、まず音楽のダイナミクスや緊張感を身体全体でキャッチし、即時反応する。この幼児期に蓄積された身体の感覚器官を通した体験が、やがて論理的な理解へと無理なくつながっていくのだと思います。

「わかる」の前に、「感じる」がある、ということ

もう少し年齢が上がったクラスでは、同じことがもう少し違うかたちで起こります。
あるレッスンでは、リズムの拡大縮小を、足のビートに合わせて身体で刻む活動をしました。ペンキを塗るように腕を伸ばし、音の長さそのものを体感する時間もありました。レッスン後の振り返りには、こんな言葉が並んでいました。

「音の長さによってエネルギーの大きさが変わり、長ければ長いほど大きくなることがわかった」
「スペースがある事で、音の長さや雰囲気が変わる」
「体を使ってリズムを感じることで、頭で考えて楽譜のリズムを読むより早く確実に身につけられるということがわかった」

Time(速さ)・Space(空間)・Energy(重心や俊敏性)という、リトミックで大切にしている三つの要素が、説明される前に、すでに子どもたち自身の言葉として出てきていたのです。頭で覚えた知識ではなく、身体を通した実感として。

聴覚と、足の裏や腕の伸びといった身体感覚が結びつきながら働くことを、多感覚統合と呼ぶことがあります。リズムを耳だけでなく身体のあちこちで同時に捉えていたからこそ、子どもたちの言葉にはこれほどの具体性が宿っていたのかもしれません。

揺れることで、違いに気づく、ということ

バイナリー(二分割のリズム)とターナリー(三分割のリズム)の違いを扱った回でも、似たようなことが起こりました。

「バイナリーは強い感じでターナリーはなめらか」
「ターナリーの曲はふんわりした感じになる」

こうした言葉は、理屈として教わったものではありません。膝や手を叩いて縦に揺れる感覚と、横にスイングする感覚を、それぞれ身体で試したあとに、子どもたち自身が見つけたものです。縦揺れと横揺れ、という身体の違いが先にあり、そのあとに「強い」「なめらか」という音楽的な言葉がついてくる。この順番が、とても大切なのだと感じています。

音を聴いて、頭で理解する前に、身体がすでに何かを感じ取っている。この最初の一歩がなければ、その先にどれだけ理論を積み重ねても、音楽は生徒自身のものにはならないのかもしれません。次回は、この身体で得た理解が、どのようにして生徒自身の音楽へと育っていくのか、その先の段階をたどってみたいと思います。

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