「わかる」ではなく「感じてわかる」ということ

── ダルクローズの手法による、幼児のスケールゲーム ──

ダルクローズ・ソルフェージュは、音を知識としてではなく、身体を通して学んでいく指導法です。

本来、ダルクローズ・ソルフェージュは、グループレッスンの中で、生徒同士が役割を分担しながら、身体全体を使った大きな動きとともに体験されることが多い指導法です。

今回ご紹介するのは、そうしたグループでの体験とは少し違い、ピアノの個人レッスンの中で、そのエッセンスを活かしながら行っている実践例です。

前回の記事で、ダルクローズが体系化したソルフェージュの骨格——体験する、内側に留める、言葉や記号に変える、創り出す、という四つの段階——についてお伝えしました。

この体系が目指しているのは、身体感覚に根ざした「内聴(インナー・ヒアリング)」の育成です。音を知識として覚えるのではなく、まず身体で経験し、記憶し、やがて自分の中で自由に扱えるイメージへと育てていく。

理論としてはよく理解できても、実際のレッスンの中でそれがどのように立ち現れてくるのか、言葉で説明するのは簡単ではありません。

今回は、「ドレミファソラシド」を自在に操れるようになるまでの、具体的なスケールゲームを通して、この四つの段階が実際のレッスンの中でどのような一場面として立ち現れているのかを、ひとつずつご紹介していきたいと思います。

音の上がり下がりを、腕で「知る」ということ

「おとが あがる」「おとが さがる」という感覚を、壁をペンキで塗るような腕の動きに結びつける活動です。

まずは講師と一緒に歌いながら、その動きを見て模倣する練習をたくさん重ねます。くり返して慣れてきたら、今度は自分で歌いながら、音の高低に合わせた動きで、自分自身の手でペンキを塗っていきます。

耳で聴いた音の変化を、いきなり音名や楽譜という記号に置き換えたり、鍵盤を押さえる指先の運動に結びつけたりするのではなく、まず腕の動きという身体感覚に変換する。

これは、音楽を「体験」としてまず経験するという、ソルフェージュの入口そのものです。前回お伝えした四つの段階でいえば、まさに「第一の段階——まず、体で経験する」ということの、レッスンでの具体的な一場面にあたります。

同じ「ド」であっても、直前の音との関係によって「広く聞こえる」「狭く聞こえる」という相対的な感覚に気づく練習も、この段階で行います。絶対的な音名の知識より先に、音と音の距離という、身体で感じ取る感覚を育てることになります。

読譜との関連づけも、この段階で軽く触れます。音が上がったか下がったかによって楽譜上の音符の位置が変わる——ここでようやく、身体で得た感覚が、記号としての楽譜と結びつき始めます。身体が先、記号があとという順番に、意味があるように思います。

二つのことを、同時に扱うということ

「ソラソー」のように音名を声に出しながらリズムを打ったり、空中に線を描いたりする活動もあります。

音の高さと長さという、異なる二つの情報を同時に処理する試みです。

ここでは、音を何拍分伸ばすかという拍感も、同時にきちんと感じておく必要があります。つまり、隠れている情報は、思っている以上に多いということです。

また、同じ「ソラソー」を、音符の積み木を使って、4拍のまとまりや「隠れている拍」を視覚的・触覚的に確認する練習もします。耳だけで捉えていた拍を、目で見て、手で並べて、もう一度確かめ直す。

聴覚・視覚・触覚を行き来しながら、ひとつの音楽的な概念を多方向から捉え直していくこの積み重ねが、後になって「自分の中で音が鳴る」という内的な感覚——ダルクローズが「内面化」と呼んだ状態——につながっていくのだと思います。

耳と身体と目を、行き来するということ

メタロフォンを使って、上向き・下向き・真ん中の位置を身体や視覚でも感じ取るゲームをします。

まずは先生の歌と手の動きを見て、それを再現する模倣ゲーム。その後、目を閉じて、聴いた音の高さを自分で歌いながら手を動かし、聴覚からのサインを自分の身体だけで再現する練習へと進みます。

メタロフォンを使うのには、いくつかの理由があります。まず、ピアノの鍵盤を一旦離れ、まったく違う楽器で、あらためて音階に触れ直すこと。

ピアノでは、ともすると指先の細かな動きだけで音の上下を捉えてしまいがちですが、マレットで打つという一つの動きに、あえて動きを集約することで、音の高さ(上下)と、鍵盤の並び(左右)という空間的な位置関係に、もう一度置き換え直すことができます。

加えて、ピアノとは違う音色であっても、ちゃんと「音名」として聴き取れているかどうかを確かめる、という目的もあります。

目を閉じて聴いた音の高さを、手の動きへ正確に置き換えられるようになったら、いよいよ3音による即興に進みます。先生と対話をするように音をやりとりしたり、あるいは一人で自由に音をつむいだりする時間です。

そのうえで、身近なチャイムの音を題材に、「学校のチャイムも音の組み合わせでできている」という気づきを促す活動に入ります。

音楽を、特別な記号としてではなく、日常の中にすでにある音として出会い直す——ダルクローズが大切にした、子どもの日常的な体験と音楽の要素を結びつけるという発想が、ここにも表れているように思います。

5音の聴音がまだ難しい様子が見られたときには、無理に進めず3音に戻すという判断も必要です。段階を急がず、その子の理解の速度に合わせて調整する。これもまた、結果を急がない指導の姿勢のひとつの現れだと思います。

気づきは、与えるものではなく、訪れるものだということ

鍵盤上の「ドミソ」と「ファラド」——一見ばらばらに見えるこの二つの音の並びが、実は同じ指の形(1・3・5)で弾けることに、教え込むのではなく、生徒が自分で気づけるよう促す、という場面もあります。

答えを先に示すことは簡単です。けれど、その答えを自分の指と耳で見つけたとき、子どもの中に残るものは、教えられた知識とはおそらく質が違います。

規則性を自ら発見する経験——これは、ソルフェージュが最終的に目指す「創造的な活用」への、小さな、しかし確かな一歩なのではないかと感じています。

スケールゲームの先に、音感は育っていくということ

体で感じる。目で確かめる。声に出す。指で確かめる。そして、自分で気づく。そのひとつひとつは、単体で見ると地味な、小さな活動かもしれません。けれど、こうした小さな往復の積み重ねが、やがて子どもの中に、自分だけの「音のイメージ」を育てていくのだと思います。

音を体感と結びつけ、自分の中で具体化できるようになること——それは、特別な才能ではなく、日々のレッスンの中で、時間をかけて育てていけるものなのだと思います。

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