音楽の多様性に耳をひらくこと

──ダルクローズ・ソルフェージュ、中学生グループレッスンの現場から──

演奏家の方々とお話しする機会があるたびに、幾度となく耳にしてきた言葉があります。

「聴衆の耳を育てることの大切さ」。優れた演奏は、優れた聴き手があってこそ届く。技術を磨くことと同じくらい、聴く力を育てることが音楽文化を支えているのだという話を、様々な立場の演奏家から伺ってきました。

この言葉の意味を、教室の中学生グループのソルフェージュレッスンを見ていると、様々な角度から考えさせられます。彼らは今、モーツァルトのソナタやベートーヴェンのソナタ、ショパンのエチュード、メンデルスゾーン、ドビュッシー、バルトークetc.…といった曲に日々向き合っている生徒たちです。

譜面を読み、指を動かし、表現を探る——そして並行し、ソルフェージュレッスンが、彼らの中に「聴く力」そのものを育て続けています。演奏家である前に、まず聴き手として耳が育っていく。その土台づくりの現場を、今回は具体的にご紹介したいと思います。

町の音楽教室が担っているもの

演奏家の方々のお話には、もうひとつ、異口同音に語られることがありました。

「本当に音楽文化を支えているのは、有名な音楽院やコンクールの舞台だけではなく、町の音楽教室なのだ」という視点です。

コンサートホールを訪れる人の中には、子どもの頃に音楽教室で楽器に触れた経験を持つ人も少なくありません。自分の手で楽器に触れ、耳を澄ませて音を聴き分けようとした経験です。

プロの演奏家になるかどうかにかかわらず、そうした経験を積んだ人は、大人になってからも演奏会でその機微を感じ取ることができる。演奏家を育てるだけでなく、聴き手を育てているのが、町の音楽教室なのだというお話でした。

この教室に通う生徒たちの多くも、将来プロの演奏家になるわけではないでしょう。けれど、日々のソルフェージュのレッスンで培われている「聴く力」は、たとえ将来ピアノから離れる日が来たとしても、その人の中に残り続けるはずです。音楽を聴くときの解像度、フレーズの背後にある意図を感じ取る感覚——それは、この先どんな形であれ音楽と関わり続けるための土台になります。

次代の演奏家を輩出することだけでなく、次代の聴き手を育てること。町の音楽教室が担っているものを、日々のレッスンの中であらためて感じています。

音楽の広さに触れる

ソルフェージュレッスンの中で、生徒たちは「La Dictée en Musique」という教材を使って、様々な時代・様式の楽曲を聴く時間を持っています。

ある回では、楽器を使わず自由なリズムで歌われる11~12世紀のグレゴリオ聖歌を聴きました。和声もなく拍子記号もない音楽、ネウマ譜(音の高さや長さを、線ではなく図形や記号で表した、五線譜が生まれる以前の古い記譜法)という記譜法の歴史、旋法(長調・短調とは異なる、教会音楽などで古くから使われてきた音階の枠組み)の美しさ——ふだん機能和声の中で音楽を捉えている生徒たちにとって、異なる音楽の論理に触れる時間です。生徒たちは、ふだん親しんでいる音楽とは異なる仕組みで成り立つ音楽に耳を向けていきます。

別の回では、活気あるワルツと、調号を持たない現代の作品を続けて聴きました。後者は中世の音楽を思わせる装飾的な旋律から始まり、途中で完全四度(澄んだ、少し古風にも聞こえる響きを持つ音程)の持続音が現れて響きが一変し、最後には複調(ポリトナリティ。複数の調性が同時に重なって響く、近現代の音楽でよく使われる技法)に至るという曲。「弦楽器か管楽器か」と使用楽器を絞り込んでいくクイズも交えながら、最終的にサクソフォンの音色を言い当てました。そうした場面では、生徒たちは謎解きゲームに挑むように、耳を澄ませ、候補を出し合いながら答えを絞り込んでいきます。正解にたどり着くことそのものより、集中して聴くことを純粋に楽しんでいる様子が伝わってきて、こちらまで楽しくなる時間です。

グレゴリオ聖歌から現代の複調作品まで。この振れ幅の大きさこそが、生徒にとって面白いのだと感じます。正しく聴き取れるかどうか以前に、「音楽にはこれほど多様な姿がある」ということそのものに触れる経験。教科書的な音楽史の知識としてではなく、耳で出会う音楽史として、生徒たちの中に蓄積されていきます。

リズムは正確に、フレーズは自由に


ソルフェージュのレッスンでは、聴き取りの正確さと同時に、「音楽をどう感じているか」という部分にも、丁寧に時間が割かれます。

視唱課題の中で、無調的な響きを持つ曲に取り組んだ際、生徒たちからは「大人っぽい」「ジャズっぽい」「オシャレな感じ」という言葉が自然に出てきました。楽譜通りに正確に歌うことと、その曲がどんな表情を持っているかを感じ取ることは、別の作業でありながら同時に進んでいきます。

ドイツ語の歌詞がついた楽曲を聴く回では、言葉の自然なリズム感や、間の取り方——アゴーギク(テンポを厳密に一定に保つのではなく、フレーズの呼吸に合わせてわずかに揺らし、表情をつける演奏上の工夫)——を感じ取る時間もありました。

旋律の中では拍やリズムをあくまで正確に捉えながら、フレーズとフレーズのあいだにあるエネルギーの受け渡しや、ある音型・和声進行がなぜそこに置かれているのかという修辞的な意味を、生徒たちと一緒に探っていく。単に音を聴き取るための訓練ではなく、音楽がどう語りかけているかを読み解く時間になっています。

育った力が、そのまま演奏に返っていく

ある聴音課題で、付点リズムがうまく取れない回がありました。

ところが2週間後、同じ性質の課題に再び取り組んだところ、全員が正確にリズムを聴き取れていたのです。理由は、その間のリトミックレッスンで重ねたリズム即興の練習でした。

まずは付点リズムを使ったフレーズを聴き取ってクラップ・ステップしたり、様々な拍子の中で、何拍目に付点リズムがあったかを聴き取って音楽の流れの中でサインを出したり、指定された拍に即座に付点リズムを入れてリズムフレーズを作ったり…付点リズムを単独のパターンとして覚えるのではなく、拍の流れの中でどこに現れ、どのような方向性を持つのかを、身体の動きと聴き取りの両方で経験しました。

身体で感じたリズムが、耳の精度として現れる。ダルクローズ・リトミックとソルフェージュが別々の科目ではなく、ひとつながりの学びであることを、あらためて実感させられました。

聴音の中身も、この一年で確実に育っています。具体的な変化は、いくつかの点に表れています。ひとつは、単純に正答率が上がったこと。以前は苦戦していた課題も、聴き取れる音の割合が着実に増えています。

もうひとつは、聴き取りに要する時間が短くなったこと。以前は同じ課題を何度も弾き直してもらう必要がありましたが、今では数回の再生で聴き取れるようになりました。

そしてさらに、和音の機能を自分の言葉で説明できる場面が増えていることも大きな変化です。ただ「聞こえた音」を書き取るだけでなく、「ここは借用和音だと思う」「これは根音を省略した九の和音では」と、理由づけをしながら答えられるようになってきています。

初め頃は、Ⅰ・Ⅳ・Ⅴの主要三和音とⅡ・Ⅵの副三和音——合わせて5種類ほどの和音を聴き分けるところから始まっていました。ところが現在では、属九の根音省略、Ⅳ度セブン、借用和音、マイナーⅣ、ナポリの和音といった、はるかに幅のある響きを聴き分け、記号として書き取れるようになっています。

「正解のない」ということに向き合う

伴奏づけの宿題では、生徒それぞれが同じ旋律に自分なりの和音をつけてきます。

まずはⅠ・Ⅳ・Ⅴを素直に当てはめるところから始め、それぞれの生徒が自分の耳で「ここにはどんな響きが欲しいか」を探っていきます。

その後、同じ旋律に対して、より発展的な和音づけの例が示されます。副三和音を挟み込む、根音を省略した九の和音を使う、増三和音を経由する、ナポリの和音まで——同じ旋律から、こんなにも違う色合いの音楽が生まれるのかと、驚きのある時間です。

「伴奏づけに正解はない」ということを、生徒たちはこうした時間を通して繰り返し体験しています。基本の型を身につけたうえで、和音と和音のあいだに自分の心が求める響きを探していく。そこから副三和音や属七、転回形、根音省略といった、より発展的な語彙へと自然につながっていく——というプロセスです。技術としての正しさと、感覚としての自由さが、両立できることを知っていく時間だと感じています。

聴く力が、弾く力を支えている

モーツァルトやベートーヴェン、ショパン、ドビュッシーといった作品に取り組む生徒たちにとって、この積み重ねが何をもたらしているのか。

それは、楽譜を音にする段階ではなく、楽譜を読み解く段階での変化として現れています。

和声の動きを耳と理論の両方で理解している生徒は、フレーズがどこへ向かい、どこで一度立ち止まり、どこで解決するのかを、自分の言葉で説明できるようになります。

旋律的な音程の動きを横のつながりとして捉える力は、初見での読譜の速さにも直結していきます。付点リズムひとつをとっても、身体で覚えたものは、指先の迷いを減らしていきます。

演奏家の方々が語ってきた「聴衆の耳を育てることの大切さ」という言葉を思い返すと、この生徒たちはまだ聴衆ではなく、これから舞台に立つ側の人たちです。

けれど、彼らが今、ソルフェージュを通じて育てているのは、「聴く耳」そのものです。自分の演奏を、自分自身の耳でどこまで厳しく、どこまで豊かに聴けるか。その力があってはじめて、他者に届く音楽が生まれていくのだと思います。

ある生徒が先日のコンクールで、審査員の方から「自分の音をよく聞いて弾いています。表現に幅があり、言いたいことの伝わる演奏です!」「どのように表現したいのかが聴き手に伝わる、とても素直な演奏だと思います」という講評をいただきました。

技術の正確さだけでなく、「何を伝えたいか」がきちんと届いている、という評価でした。耳で音楽を聴き分ける力が、そのまま自分の言いたいことを聴き手に手渡す力へとつながっていく——そんな変化が起きています。

弾く力の土台に、聴く力がある。

それは当たり前のようでいて、成長を具体的に感じることが難しい力でもあります。だからこそ、ソルフェージュという地道な積み重ねの意味を、生徒たち自身にも感じてもらえたらと思いながら、日々のレッスンを進めています。

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