「そろえる時間」から「自分に戻る時間」へ

― 20年の保育園リトミック指導が教えてくれたこと ―

最近、指導に伺っている保育園の先生から、こんな言葉をいただきました。
「先生のリトミック、少し変わってきましたよね」
鋭いご指摘でした。確かに変わっています。でも、何かを「変えよう」としたわけではありません。長年の実践のなかで、少しずつ、見えてきたことがある。そして、もともとリトミックが目指していた場所に、ようやく近づいてきた——そんな感覚があります。
今日は、その「転換」についてお話ししたいと思います。


かつての私が目指していたもの

20年以上前にこの保育園でリトミック指導を始めたころ、私が大切にしていたのは「音楽的に正しい反応」でした。
音を聴いたら、体でこう動く。テンポが変わったら、こう反応する。集団として揃って動けるようになること。それが「良いレッスン」の証だと、どこかで信じていました。
成果は見えやすかったです。「できるようになった」という喜びも、子どもたちの顔に確かにありました。
でも、同時に、小さな違和感もありました。


現場で気づいたこと

同じ音楽を聴いていても、子どもたちの体への入り方は一人ひとり違います。
ある子は即座に反応する。ある子はしばらくして、じわっと動き始める。ある子は目だけが動いている。ある子は動いていないように見えて、内側で何かが起きている。
「揃って動く」ことを求めていると、簡単すぎてつまらなそうにしている子が生まれる。一方で、全員と同じタイミングで動けないことに、居心地の悪さを感じている子も出てくる。
「揃ってできる=良いレッスン、ではないのかもしれない」
そう思い始めたのが、転換の入り口でした。


指導の「目的」が変わった

今の私が大切にしているのは、「正しい反応」より「その子の感覚」です。
目的を「できるようにする」から「感じる機会をつくる」に置き換えると、レッスンの見え方がまったく変わります。
反応の形が違ってもよい。今、揃わなくてもよい。音が心に届き、体に残り、感情が少し動いたなら——それ自体に価値がある。
子どもたちにとってのリトミックは、正しく動く練習の時間ではなく、音を通して緊張がゆるみ、気持ちが動き、自分を出せる場。そういう時間にしたいと、今は考えています。


「揃わない」ことが、育ちを妨げない

リトミックのレッスンでは、子ども達の様子を観察しながら、レッスンプランに応じた学びを意識して即興でピアノを弾きます。
「あの子、いつも違う動きをしている」「全然、動けていない子がいる」
どうしても、そこに視点が向いてしまう事があります。
集中力、自己調整する力、音楽や身体表現への抵抗のなさ——こういった力は、すぐに「できた姿」としては見えてきません。でも、音楽をたっぷり感じる経験を重ねていくなかで、じわじわと、後から力として現れてきます。
リトミックは、子どもをそろえる時間ではない。子どもが自分に戻る時間。
私はそう捉えています。


リトミックが本当に育てているもの

この転換は、思いつきではありません。リトミックの創始者、エミール・ジャック=ダルクローズの思想に立ち戻ったとき、「ああ、最初からそういうことだったのか」と腑に落ちたのです。
ダルクローズは言いました。音楽の理解は、知識ではなく身体経験によって育つ、と。「聴く・動く・感じる」は分断されてはいけない。身体は、音楽を感じ取るための最初の楽器である——。
そして彼は、感覚の鋭さ、反応の速さ、身体への染み込み方は人それぞれだということを、理論の中核に置きました。「揃わないこと」は未熟さではなく、個の内的秩序が形成される過程だ、と。


「見えない聴覚」を育てるということ

反応が外に出なくても、体の内側では感覚の刺激が起きています。無理に反応させないでいると、音は内側に残ります。そして、その子自身のタイミングで、少しずつ外に出てくる。
ダルクローズはこれを「内的聴覚(inner hearing)」(「頭の中で音楽を奏でる力」「楽譜を見ただけで音が心に鳴り響く力」)と呼びました。楽器を弾かなくても、声を出さなくても、音楽を内側で鳴らす力。それを育てることが、音楽教育の根幹だと考えたのです。
「上手な子をつくる」のではなく、「音に反応し、自分を調整し、他者と関わる力を育てる」——これが、ダルクローズ・リトミックが本来目指していたものです。


この気付きをレッスンに活かす

子どもたちを日々見ているなかで、「この子はなかなか動けない」「みんなと同じように表現できていない」と感じることがあっても、反応が外に出にくい子ほど、内側でたっぷり感じていることがあります。
リトミックの時間に、子どもたちが安心して「自分でいられる」空気をつくること——それが、私たち大人にできる最も大切なことだと思います。
この『自分に戻る』という感覚は、楽器に向き合う時や、音楽で自分を表現する上でも全ての土台となります。
教室でのレッスンも、同じ考え方の上にあります。感じて、考えて、自分らしく音楽を楽しめるようになること。「上手に弾けた」の一歩先にある、その子だけの表現を一緒に育てていきたい——それが、私が目指しているレッスンです。