── ダルクローズ・ソルフェージュの、四つの階段 ──
前回の記事で、「わかる」はひとつの力ではなく、いくつもの独立した力の集まりなのだという話を書きました。
聴く力、歌う力、音名で言う力、楽譜に書く力——これらがバラバラに育つからこそ、指導は一筋縄ではいかないのだ、と。
では、ダルクローズが体系化したソルフェージュは、この複雑さにどう向き合おうとしたのでしょうか。今回は少し理論的な話になりますが、その骨格をお伝えしたいと思います。
聴いたものを、動きに置き換えるということ
ダルクローズが体系化したソルフェージュには、他の音楽の学び方とは違う、根本的な特徴があります。それは、聴いたものを、常に「動き」に置き換えるという方法です。
その動きは、最初は全身を大きく使うステップやジャンプから始まり、レッスンが進むにつれて、指先だけのごくわずかな動き、あるいは、ほとんど動きを伴わない内側だけの反応へと、少しずつ精密になっていきます。
「大きな動きから、小さく精密な動きへ」というこの順序は、ダルクローズの体系の中でも、意図して踏まれる道すじです。大きく動くことで、まず身体の中に経験の蓄積——いわば「動きの記憶」の引き出し——を作り、その引き出しをもとに、やがて繊細な反応ができるようになっていく、という考え方です。
この「置き換え」が行われている瞬間、生徒の中では複数のことが同時に起きています。聴いた音を分析すること。そして、それを身体という別の言葉で表現すること。この二つは、順番に切り離されて行われるのではなく、同時に進行します。
そして、「聴く→置き換える」という反復を重ねるうちに、このプロセスそのものが少しずつ自動化されていきます。
ダルクローズの体系では、こうした反応や置き換え、そして自動化そのものが、レッスンの中で意識的に育てられるべき力として、はっきりと位置づけられています。
意識して考えなくても、聴いたことが自然に分析され、自然に表現へとつながっていく——それが、生徒自身の「ソルフェージュ力」と呼べるものになっていくのだと思います。
もう一つ、大切なことがあります。ダルクローズの体系は、大きく三つの柱——身体の動きと音楽の関係を扱う「リズミックス」、耳を育てる「ソルフェージュ」、そして声や楽器、身体を通して音楽を自由に生み出す「即興」——から成り立っています。
この三つは、切り離された別々の科目ではなく、常に互いに響き合いながら機能しています。
「聴く」ことは、動くことと切り離せず、動くことは、表現することと切り離せない。ソルフェージュだけを取り出して鍛えるということは、本来、想定されていないのだと思います。
この「聴く→動きに置き換える」という営みは、次の四つの段階を通じて、少しずつ形を変えながら進んでいきます。
「何を学ぶか」ではなく「どう育つか」ということ
ダルクローズのレッスンを知ってから、それまで自分が受けてきたソルフェージュの授業や、日本語で目にする「ソルフェージュについての説明」を振り返ると、あることに気づかされました。
新曲視唱・聴音・楽典・リズム練習——多くは、そうした項目を並べ、いわばペーパーテストのための、とても機械的な反復練習として組み立てられていたのです。それぞれの力が大切であることに変わりはありません。
ただ、そこには、音楽そのものから学ぶという感覚が、驚くほど薄かったように思います。
足りなかったのは、おそらく「その力が、どのような順番で、どのように育っていくのか」という、学びの道すじそのものです。
ダルクローズが体系化したソルフェージュは、実はこの道すじを、四つの段階として明確に描いています。
一般的な説明が挙げる「聴音」や「新曲視唱」は、実はこの道すじの、後半に位置する到達点にすぎません。
第一の段階 ── まず、体で経験するということ
最初の段階は、音楽を頭で理解する前に、身体でそのまま経験することから始まります。
リズムやテンポ、強弱といった音楽の刺激に対して、ステップを踏んだり、手を叩いたりと、身体でとっさに反応する。
そのとき、まったく新しい概念として教え込むのではなく、子ども自身がすでに持っている記憶や経験と結びつけていきます。
「速い音楽」と聞いたときに、疾走する馬や、自分が全力で走っているときの感覚を思い出す——というように。
音楽を正確に感じ取り、それを正確に表現する力を育てること。それが、この段階の目的です。
第二の段階 ── 音を、自分の内側に留めておくということ
次の段階では、体験した音楽的なアイデアを、自分自身のものとして内側に持ち続ける練習が行われます。
たとえば、音楽が止まり、静寂になったあとも、心の中でテンポを刻み続ける。音が鳴っていない瞬間にも、自分の内側では音楽が鳴り続けている——この「内聴(インナー・ヒアリング)」の力を鍛えるのが、この段階です。
ここでは、即興演奏も大きな役割を果たします。内側にある音楽イメージを、声や身体、楽器を通して、自由に外に出してみる。それは、これまで蓄積してきた経験を、創造的に使うための準備でもあります。
第三の段階 ── 感じたことを、言葉や記号に変えるということ
ここでようやく、一般的に「ソルフェージュ」としてイメージされやすい活動——聴音や新曲視唱、楽典の学習——が登場します。
自由な遊びの中で得た感覚を、今度は評価し、分析し、より正確なコントロールへと磨いていく。
そして、身体で経験したリズムや旋律を、言葉で説明したり、楽譜として書き起こしたりする。感覚として掴んだものを、理論や記号として客観的に捉え直す段階です。
多くの説明が入り口として提示する項目が、実はこの段階に集中している、ということに気づかされます。体で感じ、内側に留めた経験があってはじめて、記号は意味を持つのだと思います。
第四の段階 ── 学んだすべてを、自分のものとして創り出すということ
最後の段階は、それまでに学んだリズム・ソルフェージュ・即興のすべてを統合し、自分自身の作品として創り出す段階です。
音楽の構造を分析し、それを身体の動きによる表現として作り上げる「プラスティック・アニメ」と呼ばれる活動も、ここに含まれます。ダルクローズの教育の中でも、もっとも高度で、もっとも創造的な活動のひとつとされています。
四つの段階を知って、あらためて思うこと
体験する。内側に留める。言葉や記号に変える。そして、創り出す。この四つの段階を知ってからは、レッスンの見え方が変わりました。
目の前の生徒が、今どこでつまずいているのか。どんな力を獲得すれば、音楽をもっと身近なものとして感じられるようになるのか。
そして、ただ楽譜通りに弾けるということを超えて、作曲家が本当に意図したこと——曲の真髄——に、もっと具体的に触れられるようになるのか。
そうした視点を持って、レッスンを組み立てられるようになったのだと思います。
ダルクローズの体系では、状況に応じて自分を変えられること、その柔軟な適応力そのものが、育てるべき力の中核に置かれています。
以前、合奏のレッスンについて書いた記事の中で触れた「刺激に対して素早く反応し、状況に応じて自分を適応させる力」も、実はこの体系の奥にある考え方と、同じ根っこから生まれていると思います。
一般的な説明の多くが並べる「聴音」「新曲視唱」といった項目は、この一続きの道すじのうち、後半の一つの断面(平面)なのではないかと感じています。
次回は、この四つの段階が、実際の幼児期のレッスンの中で、どんな一場面として立ち現れているのかを、レッスン記録とともにお伝えしたいと思います。
