「できるようにする教育」と「育つのを待つ教育」

──結果の前に、動いているもの──

レッスンを重ねていても、なかなか変化が見えてこない時期があります。
保護者の方から、「練習はしているはずなのに、本当に身についているのか分からない」というお話を伺うことがあります。

結果がすぐに見えないと、不安になるのは、とても自然なことだと思います。
テストの点数、コンクールの成績、練習時間──そうした「できたこと」は、分かりやすく、周りからも評価されやすいものです。
ただ、長く子どもたちの成長を見ていると、結果よりも先に動いているものがあることに気づきます。
今回は、その「見えにくい部分」について、レッスンの中で感じていることを書いてみたいと思います。

「させること」でできるようになるもの、ということ
子どもは、大人が細かく指示をすることで、一定の結果を出すことができます。
練習の内容を具体的に決める、間違いをその場で直す、毎日の進み具合を確認する──こうした働きかけは、短期的にはとても効果があります。

ただ、その状態が長く続くと、少しずつ変化が起きます。子どもが、「言われたからやる」ことに、慣れていくのです。

何を直したらいいのか。なぜこの練習が必要なのか。今、自分に何が必要なのか。こうした問いを、自分の中から持つ機会が、少しずつ失われていきます。

大人が正解を示すほど、子ども自身が考える必要は減っていく──そんな構造があるように感じています。

「自分で気づく力」ということ
技術や知識以上に大切なものがあるとすれば、それは「自分で気づく力」ではないかと、レッスンを通じて感じています。

うまくいかなかった原因を考える。前回より良くなったところを見つける。今の自分の状態を、自分の言葉にしてみる。次に何をすればいいかを、自分で考える。

そうした力を育てる手がかりとして、ダルクローズ・リトミック(Dalcroze eurhythmics)という考え方を、レッスンの軸にしています。

音楽とは、ただ鳴った音のことだけではありません。拍の流れや、フレーズの息づかい、強弱の変化を、まず身体で受け取ってみます。頭で理解する前に、身体で経験してみるという考え方です。
この感覚が育っていくと、「自分が今、どんな音を出しているか」に、少しずつ自分で気づけるようになっていきます。技術と表現が、同時に変わっていく瞬間です。

こうした力は、一朝一夕には育ちません。何年もかけて、少しずつ積み重なっていくものです。そして、この力が育った子どもは、大人がそばにいなくても、自分で学び続けることができるようになります。

レッスンの中で起きていること
レッスンの中で、「今日いちばん楽しかったことを、ひとことだけ書いてみて」と聞くことがあります。

これは、ツィーグラー奏法(演奏した感覚を、自分の言葉で確かめていく指導法)の中にある練習のひとつです。演奏の出来とは関係なく、自分が何を感じたかを、自分の言葉にしてみる時間です。

最初は戸惑う生徒も、続けていくうちに、自分の感覚に言葉を当てはめることに慣れていきます。あるとき、こちらが何も言わないうちに、「さっきの方が、なんだか自然に弾けた気がする」と話してくれることがあります。

小さな出来事ですが、私にとっては、とても印象的な瞬間です。

多くの保護者が不安になるのは、努力と成果が、すぐには結びつかないように見えるからだと思います。学習に関する研究でも、変化はまず結果ではなく、見方や感じ方の部分で起きると言われています。

最初に変わるのは、物事の見え方です。次に、考え方が変わります。そして行動が変わり、結果が変わるのは、そのさらに後になります。

レッスンの中で子どもたちを見ていても、同じような順番で変化が進んでいるように感じています。大人には「何も変わっていない」ように見える時期も、実は水面下で根を張るような時間だったりするのです。

「教える」から「支える」へ
近年、教育の中で「主体性」という言葉が、よく使われるようになりました。
ただ、主体性とは、「好きにやらせること」ではないと感じています。「放っておくこと」とも、違うものです。

子どもが自分で考えられる範囲を少しずつ広げていけるように、大人が環境を整えながら、必要なときに支えていく──そういうことなのではないかと思います。

大切なのは、答えをすぐに与えず、考える機会を残しておくことです。同じように、失敗を防ぐのではなく、失敗から学べる余白を残しておくことも、大切にしています。

ダルクローズが向き合っていたのも、同じ問いだったのではないかと思います。子どもの身体と感覚を、音楽の学びにどう生かすか。答えを教えるのではなく、感じる力を育てること。その視点は、100年以上経った今も、レッスンの中に息づいているように感じます。

即効性のある方法ではありません。むしろ、遠回りに見えることもあります。ただ、長い目で見れば、自分で学び続ける人を育てるための、確かな道のように思います。

見守るということ
教育において、いちばん難しいのは、「教えること」よりも、「待つこと」かもしれません。

子どもが間違えれば、直したくなります。失敗しそうなら、助けたくなります。遠回りをしていれば、近道を教えたくなります。それもまた、大人の愛情のひとつです。

ただ、子ども自身が気づき、自分の力で一歩を踏み出す経験は、誰かが代わりに用意することはできません。

だからこそ、教育には、教える技術だけでなく、見守る力も必要なのだと思います。
その力が、子どもの「できる」を超えて、「育つ」ということを、静かに支えていくのだと思います。