音楽の行方

アステル【アルテス】vol.1に掲載されている、シンポジウム[3.11と芸術の運命]を1982年に発刊されていた河合隼雄氏著「中空構造日本の深層」―『神話知の復権』に書かれていた「高度に発達した技術と、予測し難い災害に対する不安」が現実化した「今」という認識の上に読む進めると、とても面白い。

河合氏はスリーマイル島原子力発電所の事故を受けて、科学知の行き詰まり感から来る「不安」を話の発端にされているが、今私たち日本人は3.11の自然災害と原発事故が現実のものとなり、あらゆる分野で否が応でも新しいスタイルへの変化を迫られ、そのベースになる新たな「知」が求められている。

「現代の不安は、科学の知があまりにも肥大独善化し、それが少しの破綻をきたした時でもそれを修復安定せしめるような、人間存在全体にわたる知による復元力を失っている所以」で、そして科学の知の肥大化によってもたらされた自然破壊の恐ろしさが現実化した今、人々は科学を中心に置くことの非を悟りつつある。

そこで登場する神話の知。神話の知の基礎にあるのは、私たちをとりまく物事とそれから構成されている世界とを宇宙論的に濃密な意味を持ったものとしてとらえたい根源的な欲求。神話の人間学的発言を特殊な自己知に還元し、トータルな人間存在としての有様を確立していく。

科学の知、いわゆる人間の「管理」する社会は、中世の暗黒時代と言われる時期に生きた人々と、現代人とがはたしてどちらが多くの自由さを持っているかで明らかな様に、人間の魂の自由さを許さない。実際、17世紀において近代科学の基礎を築いた「科学者」たちは、我々が想像するよりはるかに暗黒な世界との濃密な関係を維持していたという。(私はTVドラマ「Super Natural」のファンだが、まさにこれに描かれる世界は、科学知の発達により忘れられようとしているトータルな人間性の回復に通じるものがあると思う。)17世紀の登場人物たちの主張や考え方の中から、ある一つの様相だけをとり出し、それ以外のものを全て捨て去った結果を持って、近代自然科学と呼んでいる…ともいえるらしい。これは音楽理論においても、グレゴリオ聖歌に代表されるように中世の理論の複雑さ細やかさを知れば、納得できるものがある。

さて話が少々ずれたが、「今」を「芸術のあり方の転換期」とも捉えておられる各芸術分野に携わる方々の新たな表現にも「これから」を期待してアンテナを張っていきたいと思っている。音楽を時代のメタファーとして聴いていくときに、そこから「神話知」なるものが聴こえてくるだろうか・・・